カジノの歴史と始まりについて皆さんは、ご存知ですか?ヨーロッパで始まり、世界に広がっていったカジノ。今回は、カジノの歴史について触れていきながら、始まりと現況についてご紹介していきます。
目次
カジノの歴史
世界中で楽しまれているカジノの起源は、ヨーロッパであったと言われています。現在のカジノとして始まる前の公営カジノは13世紀ドイツで誕生。1638年にイタリアの本格的なカジノ場として「カジノ・ディ・ヴェネツィア」が誕生しました。
カジノの語源
「カジノ」という言葉はイタリア語で、小さな家を意味する「casa(カーサ)」と、縮小という意味を表す「ino(イノ)」が合わさったものと言われています。
初期は禁止されていたカジノが大きな税収源に
初期のカジノは上流階級の交流の場としてのサロンの色合いが強く、フランス革命以降に、庶民にも親しまれるようになっていきました。
フランスの革命家たちは、みなこぞって、カジノの運営権を取得し、課税をすることを考えます。そして、カジノによる利益を生みだすようになりました。
その後、カジノに対しての権限を引き継いだナポレオンも最初は「カジノ禁止令」を出していたのですが、税収が減ることで、カジノを認めざるをえなくなっていきます。
それほどまでにカジノから得られる資金は莫大なもの。国によって異なりますが、その後もカジノは今日に至るまで続いていくことに。中には、政府によってカジノが規制されるようになったり、逆に認められて課税されたりとどっちつかずになることもありました。
しかし、現在ではヨーロッパの多くの国で、カジノは認められています。
「カジノ課税」はあくまでカジノに対しての魅力よりもが財政的な理由が大きくかかわっているのです。
そして世界中へ広がった
その後、ヨーロッパの植民地繁栄に伴い、カジノ文化は世界中へと広まっていきました。現在、世界約120ヶ国でカジノは合法とされており、多くの人から親しまれるものとなったのです。
カジノ法案により、今後日本でもカジノを楽しめる日もそう遠くはないでしょう。
ラスベガスのカジノの歴史
「カジノ」といえば、ラスベガスを思い浮かべる人も多いのではないでしょうか?
ラスベガスはアメリカの西側にあるネバダ州の都市です。
アメリカでカジノが合法化されたのは1931年のことで、アメリカのネバダ州南部にあるラスベガス今なお世界中から人気のカジノとして成長を遂げることになります。
そして1946年、ベンジャミン・シーゲル氏がプロデュースした「フラミンゴホテル」がラスベガス初のカジノと言われています。
さらに、ラスベガス周辺のマフィアが、次々にカジノ場を建設。当初は銀行が融資を避けたため、犯罪組織が資金提供などをおこない、それが原因となって組織間の抗争まで行われていたほどです。
しかし、マフィアが多額の資金を得ている状況を鑑みた当局が、1960年代以降に取り締まりを強化。
その後は大富豪や、社会的にも安全な会社がカジノを経営。1960年代以降にラスベガスのカジノはテーマパークとして確率されていき、その中でも抜きんでていたのが、大富豪のハワード・ヒューズと言われています。
航空業・映画産業で莫大な財を成したヒューズは、泊まっていたホテルを丸ごと買うという大胆な伝説をも残しているのです。
そんなヒューズがラスベガスのホテルやカジノなどを買収し、それまでマフィアが運営していたラスベガスのカジノに、一般の企業が参入できるよう道筋を作ったのです。
カジノは見事マフィアのイメージを抜けて、現在のようにクリーンなラスベガスの誕生を促すことに繋がっていったのです。そのため、カジノ界での偉業を成した人物としてハワード・ヒューズの名が知られています。
マカオのカジノの歴史
もともとポルトガル領であったマカオですが、様々なカジノが設立されていました。マカオが中国に返還されてからは、マカオにいるマフィアによってカジノの経営が担われていました。
そういった抗争がありながらも観光産業が発展していったマカオは、徐々に成長を遂げました。
2000年には一躍有名となり、アジアの中でも「カジノの街」として知られるようになったのです。
さらに、2002年にはカジノの経営権が広く解放されたことで、「香港」や「アメリカ」の会社もカジノを経営に参画するようになります。
2005年には1900万人もの観光客が来訪。観光や投資の資源にもなっていたマカオのカジノは、一大カジノ街として現在の地位を確立することになります。
様々な抗争がありながら、発展を遂げたのがマカオのカジノなのです。
シンガポールのカジノの歴史
シンガポールでカジノが合法化されたのは2005年でした。
強い政治力を持つ「建国の父」であるリー・クアンユー氏の手により、カジノが合法になったのです。ただし、合法だからといって、決してどこにでもカジノが建てられるというわけではありません。
カジノ建設は基本的に政府管轄で行われていき、海外観光客をターゲットにしたカジノしか作ることができないのがシンガポールのカジノの特徴です。
シンガポールでもっとも有名なカジノは2つあり、それらは世界規模のカジノとして有名になっています。
- マリーナベイ・サンズ
- リゾート・ワールド・セントーサ
これらはIRという総合型リゾートの中にあります。
商業が盛んなエリアでもあり、港湾に近く、観光客からも人気の高いスポットとなりました。
もう一つの「リゾート・ワールド・セントーサ」も、商業エリアからも車で5分という近さですので、こちらも多くの観光客が集まっているカジノです。
この2つのIRに関しては、どちらも世界最大級の規模を誇っています。
主にカジノを経営するのは海外企業が多く、様々な外資系企業が経営しているシンガポールカジノの成長は、驚くべきものへと変化していきます。現在では、カジノ単体の収入がシンガポールのGDPを約1%も占めるほどまで成長しました。
もう一つ注目すべきは、シンガポールのインバウンドの観光客数です。2009年の970万人〜2013年は1500万人へと大幅に増加しております。
シンガポールの発展はカジノなしに語ることはできないでしょう。
アジアのカジノの歴史
アジアの国々は、政府が実験を握り、カジノ運営がおこなわれています。その中でもフィリピンやマレーシア、ネパール、韓国はアジアの中でも比較的早期にカジノを合法とし、建設を始めたのです。
特に、日本から近くのお隣、韓国では外国人専用のカジノも多く存在し、日本人観光客からも評判が高いです。
アメリカのカジノの歴史
アメリカで初めにカジノが合法化されたのは、ラスベガスを擁するネバダ州でした。20年後には、ニュージャージーにある、アトランティックシティでもカジノが合法化されますが、1970年代まで合法的なカジノはこの2つの場所のみ。
その後の1980年代以降から、ミシシッピ州、インディアナ州、コネチカット州、アイオワ州でもカジノが合法化され、現在では23の地域で認められています。
この傾向は今も止まらず、拡大傾向にあります。
ヨーロッパのカジノの歴史
ヨーロッパのカジノ都市の歴史は古く、最も古いと言われるのが冒頭でご紹介したドイツですが、イギリスとフランスを中心にご紹介します。
1700年代初頭のイギリスで大規模なカジノ都市として栄えたのがバスです。バスは良質なミネラル水の出る水源地として有名であり、イギリスだけに限らず、ヨーロッパの王侯貴族の憩いの場所として栄えたのです。
バスは1710年から1740年代まで、30年に渡りカジノの街とし栄えました。しかし、1740年代に起こったカジノ規制により、その繁栄は突如として終わりを告げます。
その後、バスの代わりとして王侯貴族たちの避暑地となったのが、ベルギーのスパという都市でした。
当時のヨーロッパは上水事情が悪く、良質な水を手に入れることが難しかったため当時のお金持ちたちは、避暑地に「水源地」を選ぶ事が多かったのです。
2つの有名なカジノ都市が「バス(=お風呂)」「スパ(=温泉)」と名付けられたのです。このスパには、RedoutとVaux Hallと呼ばれる二つのカジノがあったと歴史上でも記録されています。
その後、様々な紆余曲折の末、王侯貴族たちはモナコ公国、モンテカルロを安住の地として選んだのです。モナコ公国はフランスの南部に位置する小さな国ですが、1880年代後半、フランスからの直通鉄道が作られたことで、ヨーロッパの避暑地として絶大な人気を誇ったのです。
モナコ公国は、国王自身が国の産業振興政策として、カジノ建設を積極的に支援してきた事で、1880年代からカジノ都市として栄えていき、現在もヨーロッパ一のカジノ都市として君臨しているのです。
以上のようにヨーロッパでは、カジノ都市が栄えては規制されるという流れを繰り返し、現在に至ったのです
歴史が物語っているカジノの奥深さ
人々は規制を受けても乗り越えそれでも必ず新しいカジノを求めて、別の地に集まるということを繰り返してきました。
現在の日本では、カジノは法律で禁止されています。けれども、アジアやアメリカ、オーストラリアなど海外のカジノで日本人が楽しんでいるのも事実です。合法なカジノであればまだしも、国内で非合法のカジノが運営され、そういった場所でカジノに興じる人も少なくありません。カジノは楽しい場ではありますが、遊ぶのであれば合法で健全な場所で行うのが良いでしょう。
この記事をきっかけに少しでもカジノについて興味を持っていただけたら幸いです。